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東京高等裁判所 昭和32年(う)1563号 判決

控訴人 被告人 植竹哲男 外二名

弁護人 中村又一 外二名

検察官 大津広吉

主文

原判決中被告人鈴木秀雄、同相原福一に関する部分を破棄する。

被告人相原福一を懲役三月に処する。

但し、本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審訴訟費用中、証人伊藤健作、同藤田勝明、同相原キヨ子、同堀江従義、同松本忠夫、同藤本晟、同高瀬芳朗に各支給した分及び当審訴訟費用中、証人尾形為助、同田中由次に各支給した分は全部被告人相原福一の負担とする。

本件公訴事実中、被告人相原福一が日本交通株式会社車輌課長清水太郎から金三、〇〇〇円を収賄したとの点につき、同被告人は無罪。

被告人鈴木秀雄は無罪。

被告人植竹哲男の本件控訴はこれを棄却する。

理由

本件控訴の趣意は被告人三名の弁護人中村又一、被告人鈴木秀雄、同相原福一の二名の弁護人森虎男、被告人相原福一の弁護人加久田清正各作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これ等をここに引用し、これ等に対し次のとおり判断する。

森弁護人の論旨一、被告人鈴木秀雄についての部分第一点、中村弁護人の論旨第二、鈴木秀雄関係一、二、

被告人鈴木秀雄に対する原判決認定の事実即ち同被告人がその職務に関し松原甚之助から金一万円の賄賂を収受した旨の事実はその挙示する証拠によつてこれを認めうるが如くである。

而して各所論は原判決援用の(一)鈴木被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、(二)松原甚之助の司法警察員に対する昭和二八年一一月三〇日附第二回供述調書は何れも任意性の認められないものである旨主張するので、この点につき先ず按ずるに、

(一)  鈴木被告人の司法警察員に対する昭和二九年一月一五日附第二回供述調書には同被告人が松原甚之助から金一万円の供与を受けた事実のみならず、同人とキヤバレー、クラブオペラへ数回同道して饗応を受けた事実をも供述されているのであるが、金一万円の趣旨についてそれは仕事の関係で頼まれて貰つた訳ではないからその事については後日詳細供述する旨の供述記載であつて、金一万円を収賄したものである事実を自白しているものではないのである。この供述記載自体から考えても鈴木被告人の右供述は取調官松井勇一の暴行脅迫等の拷問その他の強制によつて止むなく供述したものを録取したものでないことが容易に看取しうるのであるが、なお原審第七回(昭和三〇年九月三〇日)公判調書中、証人松井勇一、同西久保源三、同辰島精治の各供述記載によれば、鈴木被告人の右司法警察員供述調書は鈴木被告人の任意の供述を録取したものであり且つ変造等為されたものでないことを十分肯認するに足りるのである。

鈴木被告人の原審公判廷における供述及び昭和三〇年一一月一六日附上申書中夫々所論に符合する部分は到底信用するに足らないものである。他に所論事実を認めるに足りる証拠は存在しない。そこで進んで、鈴木被告人の検察官に対する供述調書の任意性について判断するに、所論は同被告人の検察官に対する供述は司法警察員に対する供述が暴行脅迫等による強制の自白であるところ、これを基礎にして司法警察員等の立会監視の下に為された非任意のものである旨主張するのであるけれども、前説示の如く鈴木被告人の司法警察員に対する供述調書は何等強制誘導によるものでなく任意性の十分存するものであるから、所論は已にその前提を失うものであるが、なお鈴木被告人の検察官に対する各供述調書を逐一仔細に検討すれば、これらは何れも同被告人が読み聞かされて相違ない旨を認めて署名押印をしたものであり、その形式内容の双方から見れば、任意の供述を録取したものであることを十分認めうるのである。

鈴木被告人の司法警察員、検察官に対する供述調書は何れも任意性の存するものと認められ、所論の如く非任意のものとは到底認められないのである。

(二)  そこで進んで、原判決挙示の松原甚之助の司法警察員に対する昭和二八年一一月三〇日附自白調書(謄本)の任意性につき判断するに、松原甚之助に対する中井医師の昭和二九年二月一六日附診断書、原審第四回(昭和三〇年六月一七日)公判調書中、証人中井繁穀の供述記載の外、原審第一〇回(昭和三〇年一二月一六日)公判調書中、証人植松己之助、第一二回(同年三月二四日)公判調書中、証人遠山丙市原審第六回公判調書中証人小林丈作の各供述記載、当審における証人中井繁穀、同遠山丙市、同小林丈作の各公判供述を綜合すると、松原甚之助は、昭和二八年八月一九日賍物故買等の事件について逮捕され、引続いて練馬警察署の留置場に勾留せられるに至つたものであり、同人に対しては賍物故買、公文書偽造、贈賄等の数多の被疑事実があつて、その取調に相当の日数を必要とする事情のあつたことを窺知し得るのであるが、他方同人は右の逮捕勾留された当初から、大動脈弁閉鎖不全症なる心臓疾患で相当重篤な状態にあつたが、医師の診断の結果、なお一、二箇月位の勾留には堪え得るものと認められる状況にあつたところ、その後同年九月七日頃から更に病状は悪化し、到底勾留には堪え得ないのみならず、その侭勾留を継続するにおいては、尿毒症を併発する等如何なる病変を来すかも測り知れない容態となり、ために生命に危険を及ぼすおそれが強大となつたに拘らず、その後も依然勾留を継続せられ、遂に昭和二九年二月一九日前記留置場で、右の疾病のため病死するに至つた事実が認められるのである。

而して、松原甚之助が司法警察員に対し自白をしたのは、昭和二八年一一月三〇日であり、その時は同人が勾留に堪え得ない状況に立到つてから既に五〇余日を経過しているのであつて、右のように病状の悪化している者に対し、更に五〇余日も勾留を継続することは、たとい事件の取調上勾留を必要とする事情があつたとしても、斯る勾留は不当に長い勾留と解するのが相当である。然も、松原甚之助は右のような重病人の身でありながら、勾留後は司法警察員から連日のように取調をうけていたのであつて、その間同人は弁護人遠山丙市に対し贈賄の事実については身に覚えのないことを訴えていたこと、並に同弁護人において同人の病状を憂え昭和二八年一〇月末頃前記病状を明かにした診断書を添え保釈申請をしたが、採用されるに至らなかつたことを夫々認め得るのである。

然らば、かかる重病人の身で連日のように取調をうけ、然も保釈が許されないとすれば、たとい直接暴行、脅迫等の強制をうけなかつたとしても、取調官の意に副う供述をしなければ、到底拘禁を解かれないであろうという心理的圧迫をうけることは自ら免れないところと認められるのであつて、このことを前記の如く贈賄の事実の存しないことを弁護人に訴えていたこととを対比して考察すると、同人の前記自白は少くとも不当に長い勾留によるものか否かが明かでない場合に該当するものと認めざるを得ないのである。

ところで憲法第三八条第二項、刑事訴訟法第三一九条第一項にいわゆる不当に長い抑留又は拘禁後の自白とは、不当に長い抑留又は拘禁による自白であることが明かな場合すなわち自白の原因が不当に長い抑留又は拘禁によることの明かである場合のみならず、不当に長い抑留又は拘禁によるか否かが明かでない自白の場合すなわち自白の原因が不当に長い抑留又は拘禁であるか否かが不明である場合をも包含するものと解するのが相当である(昭和二三年六月二三日最高裁判所判決参照)。してみれば松原甚之助の前記司法警察員に対する自白は、憲法及び刑事訴訟法の右法条にいわゆる不当に長く抑留又は拘禁された後の自白に当るものといわざるを得ない。

しからば、原判決が証拠に採用した松原甚之助の司法警察員に対する昭和二八年一一月三〇日附供述調書は、憲法第三八条第二項、刑事訴訟法第三一九条第一項の規定に照し正に証拠とすることのできないものと言うべきであつて、これを証拠に採用した原判決は所論の如く訴訟手続法令に違背するものと云うべきである。

而して、右松原甚之助の供述調書は鈴木被告人の本件収賄事実の自白を補強しうる原審取調証拠中唯一のものである。

尤も当審証人岩瀬栄の当公判廷における供述によれば、昭和二七年一〇月中鈴木秀雄、松原甚之助、自分の三人が四ツ谷の陸運事務所で一緒になり、虎の門附近で酒の立ち飲みをした後三人が松原の自家用車で新橋駅附近迄行き自分はそこで下車して別れたから、その後の二人の行動は知らないと云うのであるところ、この供述は鈴木被告人の司法警寮員に対する昭和二九年一月一五日附供述調書中、昭和二七年一〇月か一一月四ツ谷の鈴伝で松原甚之助、岩瀬栄、橋本某と酒を飲みそれから松原の車で田村町に行き下車して店の名を忘れたが、酒屋で酒を飲み店の表に出るとすぐ松原甚之助が私のポケツトに千円札を四ツ折にした裸のままのものをだまつて入れたのでこれを受取り、これをクラブオペラに行つてから出して見ると千円札一〇枚あつた旨の供述又検察官に対する昭和二九年二月四日附供述調書中、松原甚之助から一万円貰つたのは昭和二七年一〇月中田村町交叉点附近路上である旨の供述中、昭和二七年一〇月中鈴木被告人が松原甚之助と四ツ谷鈴伝で酒を飲み松原の自動車で虎の門方面に行き下車して酒を飲んだ旨の部分は両者において符合しているのである。酒を飲んだ場所が一方は虎の門、他方は田村町であつて、虎の門も田村町も東京都内においては相近接した地点ではあるが、異る場所なのである。しかも岩瀬証人の証言中には鈴木被告人と松原甚之助との間に金銭の授受があつたか否かについては何等触れるところはないのである。

ところで、自白を補強する証拠は一個の犯罪事実の全部に亘つてもれなくこれを裏付けるものである必要はなく、要するに自白の真実性を保障しうる程度のものであれば足りるとすることは最高裁判所判例(昭和二五年(あ)第九三号、昭和二五年一〇月一〇日第三小法廷判決参照)の存するところであるけれども、岩瀬栄証人の右供述程度では未だ鈴木被告人の収賄事実の自白を裏付け補強し、その自白の真実性を保障するに足りるものとは認め難いのである。

そして本件記録中には前述の如く他に被告人鈴木秀雄の自白を裏付けるに足りる補強証拠は存在しないのであるから、原判決は鈴木被告人の本件収賄の公訴事実を結局同被告人の自白のみによつてこれを認定したことに帰するのである。原判決のこの過誤は元より判決に影響を及ぼすものであるから、各論旨は理由があり、原判決中、鈴木被告人に関する部分は同被告人に関する爾余の論旨について判断を為す迄もなくこの点において破棄すべきものとする。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 山本謹吾 判事 渡辺好人 判事 石井文治)

弁護人中村又一の控訴趣意

第二、鈴木秀雄関係一、二、

一、原判決は、被告人鈴木秀雄について、犯罪事実を「昭和二十七年十月中旬頃東京都港区芝田村町交叉点附近の路上において自動車修理工場経営主松原甚之助よりその申請にかかる自動車の登録につき便宜な取扱をせられ度いとの趣旨のもとに提供せられるの情を知りながら現金一万円の供与を受けもつて自己の職務に関し賄賂を収受した」と認定し、その証拠の標目に被告人鈴木の昭和二十九年一月十六日付及び同月二十四日付、同年二月四日付の各検事調書並に同じく昭和二十九年一月十五日付の司法警察員に対する供述調書並に松原甚之助の昭和二十八年十一月三十日付司法警察員に対する供述調書を各挙示した。

二、然るに右判決は任意性のない自白を証拠として事実を認定したる違法があり当然破棄さるべきものと確信する。依つてその理由を左に説明する。

(1) 原判決の認定する事実に依れば被告人鈴木秀雄は、松原甚之助より賄賂を交付せられこれを収受したと云うにある。従つて被告人鈴木と松原は夫々収賄と贈賄との対立的な立場にあつて必要的共犯の関係にあるのであるから之等の供述に於いて自己に不利益なる事実の陳述はいずれも自白である。

(2) 而して強制拷問脅迫のもとで行われた自白はむろんのこと任意になされたものでない疑のある自白は証拠能力を有しないのであり、殊に不当に長く抑留拘禁されたのちの自白は当然に任意性がないものと擬制されるのである。然るに原判決は、本件挙示の右自白に対しいずれも任意性ありとしてこれを有罪判決の基礎としたのであるが、右自白のうち被告人鈴木秀雄の司法警察員に対する供述調書は、被告人鈴木が第一審公判廷に於て切々と訴えておる通り、捜査官は逮捕当時より終始一貫して既に被告人を犯罪者以上に取り扱い逃走のおそれなき被告人を見せしめの為に手錠を以て連行し、暴行脅迫の限りを尽し自白を強要して作成せられたものである。右事実は、第一審公判廷に於いて練馬警察署警察医中井繁穀氏が証人として陳述しておる通り「他の警察に先をこされるとの警察官の功名心」のために自白を強要したのであり又同じく第一審の公判廷に於て証人橋本一男が述べておる如く、練馬警察署福士部長は被疑者たる証人に対し「お前は練馬警察署をなめているのか」と暴言を吐き且つほほをなぐつたと証言し、「……実際にひどい取調方をやつていました」と陳述しておる証言の内容から容易に明白にせられるところである。

(3) 殊に右供述調書には、いずれも供述拒否権を告知した旨の記載があるにもかかわらず何等これをなしておらざるばかりか却つて脅迫により供述拒否権行使を不能ならしめており、更に驚くべきは今日公判記録中に輯綴され原判決が証拠として挙示しておる被告人鈴木の司法警察員に対する供述調書は、練馬警察署に於ける取調に当りふりかかる暴行脅迫を本能的に避けんとして不本意にも虚偽の自白をなし且つ読み聞けられたものと同一ではなくその内容は後日勝手に加筆著作せられておるのである。即ち被告人鈴木秀雄は右供述調書の作成日付たる昭和二十八年一月十五日には、司法警察員の「松原がやつたと云うんだから貰つていないことはない筈だ」との追及に対しこれを否認したが当日の捜査が終了し打ち切られるに当り、更に鈴木に対しいやがらせは勿論、手錠をかけて自宅附近に連れ出し家族や附近の人の前で恥をかかせてやるなどの脅迫をなしそれもやり兼ねない気配を見ては全く気も転倒した」この状況下におかれて被告人鈴木が「そんなこともありました」と口を滑らしてしまつたものでありこれを当日附の追加調書として録取されたと云うのである。従つてこの際金一万円の授受については未だ何等具体的陳述もなしておらぬにもかかわらず右公判調書には被告人鈴木が港区虎の門交叉点附近の路上で金一万円を収受した旨記載せられておるのである。然し乍ら右事実は同じく練馬警察署が翌日たる同年一月十六日付を以てなしたる松井警視の送致書に於て「被疑者鈴木はクラブオペラ内にて現金一万円の供与を受けた」と記載してこの点に関し松原甚之助の供述と称する部分を引用して辻褄を合わせながら一方「被疑者は犯行を否認し居るも云々」の記載ある事実により明白である。

(4) 次に被告人鈴木の検事調書はいずれも右司法警察員の調書に基き然も司法警察員の立会監視のもとで簡単に読み聞け肯定せしめられたもので当時猶被告人の身柄は練馬警察署の暴力的取調のもとにあつたので練馬警察署での供述を否認した場合の後難を恐れこれをなし得なかつたものでいずれも任意性は存しない。

(5) 右供述調書のうち松原甚之助の供述は、本件第十二回公判に於て同人の弁護人であつた証人遠山丙市氏並に第十四回公判に於て証人植松已之輔氏が夫々述べておる如く「松原は毎日の如く今日は頭髪を五百本も抜かれたと口で云うだけの元気のあるときは良いのですが死ぬ二、三日前に取調が済んで取調室から留置場の中で入口から一番近い松原の房まで帰るのに歩いて来れなくて倒れかかつたこともありまして看守と便所に行つていた被疑者にかかえられて房まで連れてこられた」こともあり「二十八年十一月十五日頃松原は大分弱るには弱つておりましたが極端に弱つて来たのは一月になつてからです」と述べておる如く全く無理不当な強制のもとに苛酷な取調が行われておるのである。原判決の挙示する松原甚之助の供述調書は昭和二十八年十一月三十日の日付となつておるが練馬警察署において、松原は「十一月にも頭髪をひつぱられた」のであり拷問により自白を強要したものであることは、遂に右松原が昭和二十九年二月十九日警察医の診断と警告を無視してまで苛酷にも将に今日誰しも想像し得ない拷問により獄中に悶死するに至つた当日すら取調を強行しておる事実に徴しても明白であり練馬警察署警察医中井繁穀の昭和二十九年二月十六日付診断書に依れば松原甚之助は大動脈弁閉鎖不全症により既に二十八年八月十九日より診療中にあつたのであり原判決挙示の松原の供述調書が不当に長く抑留せられておる当時の供述であり精神的肉体的苦痛を逃れんとしてなしたる任意性なき供述であることは明白である。

(6)刑事訴訟法第三百十九条第一項は先ず証拠とならない自白として強制拷問脅迫による自白並に不当に長く抑留拘禁された後の自白をあげておる。而してこれが不任意の疑ある自白の例示たることは疑なきところであるが単にそれに止まるものではなく、更にこれを疑ある自白と擬制しておるものと解すべきである。即ち憲法第三八条第二項が任意性に疑のある云々の字句を含まず強制拷問脅迫による自白を端的に証拠にならないとしていること、そして刑事訴訟法第三百十九条第一項がその具体化であることから擬制の規定であることは一点疑を差し挾む余地はないと信ずるのである。然らざれば将に本件の如く捜査機関の自白追求により人権が蹂躙され且つ自白偏重による万一の誤判を生ずる結果となるのである。それにもまして特に本件に於いて強調せられねばならぬことは「生命は尊貴である一人の生命は全地球よりも重い死刑はまさにあらゆる刑罰のうち最も冷厳な刑罰であり云々」と喝破した最高裁判所昭和二十三年三月十二日大法廷判決(集二巻三号一九二頁)の趣旨である。特に本件に於ける松原甚之助は、被疑者であり被告人でもなく、犯罪者でもない。然るに捜査官等は唯一筋に被疑者松原甚之助の自白を得んとして松原の病体を鞭打ち、拷問脅迫を加えて自白を強要し以て遂に同人を死に至らしめたものでありこの一事を以てするも松原甚之助の原判示供述の任意性に疑あることは誰一人として疑の余地はない筈である。

(7) 然るに原判決は、第一に右被告人鈴木の供述調書並に松原甚之助の供述調書の任意性につき判決上何等明示するところはないが夫々右供述調書を作成し本件捜査を担当した練馬警察署司法警察員等の第一審公判廷に於ける右事実を否認する旨の証言を安直に信頼したものの如く被告人等並に捜査担当者関係者を除く他の第一審証人の全部が右事実を認め練馬警察署に於ける取調べの不法・不当を訴えておるにもかかわらず漫然と任意性ありと断定し採証しておるのは如何にしても首肯し得ざるところである。前述の如く被告人鈴木の供述は強制拷問のもとになされた供述であり松原甚之助の供述は不当に長く抑留せられ然も拷問強制せられた自白であるから任意性の証明さえ許されざるところであるが仮りに任意性の判断が許されるとするも「それが合理的でなければならない」ことは勿論であり最高裁判所判例(最判昭二六・八・一刑集五巻一六八頁、最判昭二七・三・七刑集六巻三八七頁)も繰返し判示しておるところである。

(8) 而して又昭和二十三年六月二十三日付、最高裁判所判例は「憲法三八条第二項において『不当に長く……中略……これを証拠とすることは出来ない』と規定しておる趣旨は……(二)不当に長い抑留又は拘禁によるか否かが明らかでない自白の場合すなわち自白の原因が不当に長い抑留又は拘禁であるか否か不明である場合をも包含するものと解すべきであるなぜならばかかる自白に証明力がないとするために被告人は常に因果関係の存在を立証することを要するものとすればそれは被告人に難きを強ゆるものでむしろ酷に過ぎることとなり、被告人の人権を保護するゆえんではないからであるそれ故かかる因果関係の不明な自白は因果関係の存する自白と共におしなべて証拠力を有しないと解すべきである」と判示した。(昭和二三年六月二十三日刑集二・七・七一五)而して斯かる観点からすれば松原甚之助の供述調書が任意性なきものとして証拠となし得ないものであることは明白でありこれを任意性ありとして採証したる原判決は著しき審理不尽により重大なる法令遵守の誤りを冒しておるものである。

(9) 叙上の如く本件原判示第三の事実たる被告人鈴木秀雄に対する各証拠はいずれも供述に任意性がなく何等証拠能力を有せざるところである。而して原判決は何等証拠に基かずして公訴犯罪事実を認定したる違法に帰するものであるが仮りに今百歩を譲つて被告人鈴木秀雄の検事調書の任意性が認められるとするも、前述の如く松原甚之助の供述調書の任意性は絶対に認められざるところである。然らば原判決は、憲法第三十八条に違反して被告人の自己に不利益な唯一の証拠である自白調書を唯一の証拠として有罪としたる違法があるに至り著しく正義に反するところである。依つて原判決は上述の理由により当然破棄さるべきものと確信する。

弁護人森虎男の控訴趣意

一、鈴木秀雄についての部分

第一点原判決は訴訟手続の法令違反がある。原判決は被告人鈴木に対し有罪の判決を言渡し、その証拠として一、被告人鈴木の検察官に対する昭和二十九年一月十六日附、同月二十四日附、同年二月四日附(四枚綴りの分)供述調書、一、被告人鈴木の司法警察員に対する同年一月十五日附(第二回)供述調書、一、松原甚之助の司法警察員に対する昭和二十八年十一月三十日附供述調書謄本を挙示しているが、右証拠はすべて強制事実の下になされた供述を録取した自白調書であつて任意性がないから証拠能力がないのに拘らず、原審がこれを証拠として採用したのは憲法第三十八条、刑事訴訟法第三百十九条の規定に違反する。而して

一、松原甚之助に対する強制事実ありとする証拠。

1、松原甚之助が重病人であるのに長期間(六ケ月間)練馬警察署に留置されていた。2、取調直後留置場内おいて松原甚之助は死亡した。3、証人遠山丙市の原審における供述中(イ)松原は昭和二十五年頃から心臓が悪いということはわかつていた。(ロ)昭和二十七年末頃から悪化した。(ハ)昭和二十八年春頃から入院した。(ニ)医者の話によりますと本庁あたりからも何回も刑事さんがおいでになつたのですが、非常に体中がむくんで心臓が弱つて面会できんし、その他の警察の刑事連中にも面会できない程重大であつたようです。(ホ)松原が入院料が大分かさんだのでその金策の為家に帰るとき刑事が一緒に行つて逮捕した。(へ)九月か十月頃病状悪化の警察に行つた、その時練馬警察署の嘱託医に面会して病状を尋ねたところ、医師は「あれでは勾留に耐えられない」といつた。(ト)診断書を貰つた、そして急を要するということで保釈願を出した。(チ)「若い刑事からやかましく責められている」とはよくいつておりました。(リ)あの程度の病気であつたら、まず帰すべきであるのが当然と考えます、大体勾留に耐えられないということを診断書に書いているんですから、それ以後もずつと長く引続き勾留して大分強く調べたということは非常に無理があると考えます。(ヌ)調書が全部真実であるとは考えられません。4、証人中井繁穀の供述中(イ)同証人作成昭和二十九年二月十三日附松原甚之助に対する診断書(原審において証拠として提出済)の説明及び病状に対する説明。(ロ)右診断書の内容と同じ内容に診断し昭和二十八年十月二十七日附診断書を弁護士遠山丙市に交付したことがある。(ハ)右診断当時生命に関する程の危険な状態にあつたことは間違いない。(ニ)松原の房は病房というけれども普通の房にゴザを敷いてその上に蒲団を敷いてあつたに過ぎない。(ホ)練馬警察署に対しては再三注意をしていた。5、証人橋本一男の原審における供述中、(イ)……今度は福士部長がかわつて私に「お前は練馬警察をなめているのか」というので「なめてなんかいません」というと私のほおをなぐりましたので「警察で人をなぐつていいのか」と食い下り……。(ロ)あの警察は相当ひどい取調方をするところだと思つていました。(ハ)彼(松原)は心臓弁膜症だつたのに朝起きてすぐに調べられ運動時間にちよつと運動してそれから晩まで調べるというような調べ方でした。(ニ)私は入浴の時に話をしました……松原は「おれは練馬警察で死んでしまうよ」とか「殺されてしまうのではないか」といつておりました。あの当時練馬警察に留置されていた人は松原がそういうことをいつていることは殆んどの人は知つていました。(ホ)とにかく彼の取調のない日は一日もないのです。(へ)彼が亡くなりました時は運動時間が終つて松原の差入れのお菓子を私もよばれて食べまして菓子を食べ終つてから松原は取調の為にすぐ連れて行かれ死ぬ間際に帰つて来て御不浄へ行つて部屋に入つてしばらくすると「うーんうーん」と苦しそうな息をしておりましたので看守が何だろうと思つて「松ちやん松ちやんと声をかけた……松原の房に飛込んだ時にはもう息を引取つておりました。(ト)松原自身は抗議する気力もない程体力的に消耗しきつていたと思います。よく「今日も頭髪をひつぱられた」とこぼしておりましたので私はそういうことをされてなぜ抗議をしないのかということをいつたことがあります。(チ)高橋検事の取調べはいつも夜でした。(リ)他の警察から取調べに来られた人の場合は特にひどかつたですね。6、証人植松已之輔の原審における供述中(イ)正座させられたり机を物差なんかでたたいたり頭髪をひつぱつたりして調べるのですか。そうです。(ロ)松原が取調の時に係官が肉体的な暴行を加えたりあるいは心理的な圧迫を感ずるような態度をとつたということを訴えておつたことはないですか。それはいつものことです。「今日は頭髪を五百本抜かれた」と口でいうだけの元気のあるときは良いのですが、死ぬ二、三日前に取調べが済んで取調室から留置場の中で入口より一番近い松原の房まで帰るのに歩いてこれなくて倒れかかつたこともありまして看守と便所に行つていた被疑者に抱えられて房まで連れて来られたこともありました。(ハ)弱つていたのはしよつちゆうですね。(ニ)死ぬちよつと前にフラフラになつて行きました。(ホ)死ぬ前に松原は「おれはもう死んでしまうが死んだら化けて出るよ」といつて看守をからかつておりました。また松原は家からふとんを持つて来ておりましたがふとんを敷く元気もなくなつて私の房にいた雑役の人が敷いてやつたこともあります。(へ)刑事に領置金の中から食物をとつてくれと頼んでもお前みたいな奴のいうことは聞いてやれないといつて食物をとつてくれないといつてこぼしておつたこともあります。(ト)七時、八時になることはしよつちゆうで深夜になることもありました。とにかく松原の場合一番情状が悪かつたのです。(チ)取調から帰つて来て松原は「とにかく話にならないよ」と捨鉢的なことをいつておりました。(リ)大きな声を出してどなるのは小林主任で物指なんかで机をひつぱたくのは福士部長で頭髪をひつぱるのは松井刑事と大体きまつていました。(ヌ)食事のときだけいてあとずつといなかつたこともありました。昼食を三時頃食べに来てそれからずつと調べられたりしておつたこともありました。(ル)私は小林主任に松原も体が悪いのだから早く自白するように遠まわしに口説いてくれないかと頼まれました。

二、被告人鈴木に対する強制事実の証拠

被告人鈴木の原審における陳述(上申書)によれば1、松井刑事に罵倒された。2、辰島警部は「否定するなら否定してもよい私の署は鳴かなければ鳴くまで待とう主義だお前も足腰がたたなくなる迄此処にいたいか……」等といわれた。3、松井刑事も辰島警部もよく長く勾留するといつて脅迫的な言辞を繰返し「お前も松原みたいに足腰たたなく骨がらみになる迄おるか、早く家に帰るように心掛けるかよく考えろ」と脅迫した。4、松井、西久保両刑事が「此の野郎太い野郎だ」と前から松井が私の頭をつき横から西久保が同様頭の毛を引くというようにして私を攻めはじめた。5、「私は乱暴するな」と抗議したが朝から引続きの取調と昨日からの異常な環境におかれておる為精神的に疲労困憊しかつこの屈辱的な立場に堪えませんでした。6、この時松井刑事は私に「よしお前が否認するなら否認してもよいお前がそのように図太い野郎ならお前の家宅捜査もお前が飲みに行つた銀座の店にも手錠かけて引廻すがよいな」とたたみかけて来た。7、私はこの手錠ですつかりおびえました。手錠でひかれた自分の姿を家の者に見せるのにしのびませんでした取り乱しておるであろう家族にこれ以上の恥をかかすことは私には出来ませんでした。8、第三日目に東京地検において高橋検事から取調があつた時に私は昨日の一万円の授受についての供述を飜す心算でありましたが調室に入つた時に後ろに松井刑事が控えており、彼が取調の時私の襟元をとり「刑事に恥をかかすなよ」といつたことを想い浮べ飜す勇気が崩れてしまいました。9、昭和二十九年二月六日練馬署れ移されてから松原と断片的な話をしたとき松原は断片的に「十一月三十日松井刑事から二日間に亘り散々髪の毛を引きずり廻され酔つたことでよくわからないが飲み代として一万円渡した」というてしまつたとの内容のことを聞きました又身体がまいつてとても他人のことなんか考える余裕がないと捨鉢のこともききました。

三、以上の如き証拠があるのに原審が松原及び鈴木の自白の任意性を認め前記各供述調書を証拠として採用したのは採証の原則に反する。

刑事訴訟法第三百十九条の解釈についていわゆる二俣事件の判決中静岡地方裁判所は次の要旨を判示している。すなわち1、刑事訴訟法(以下単に法と略称する)第三百十九条にいう「任意」という概念は主として人権擁護の立場から解すべきであり、人権に対する不当不法な圧迫を受けることなく、被疑者ないし被告人の供述が行われたことを指すものである。2、法第三百十九条に規定する自白が任意性を欠いて証拠たり得ない為には、それが強制事実「に由つて」、即ち強制事実を原因として為されたことは必ずしも必要でなく、要するに自白が強制事実「の下で」、即ち強制事実(又はその影響方)の現存する状況下で為されたことを以て足りるものと解すべきであろう。3、自白の任意性について有無いずれとも認め難いときにも証拠能力を認め得ない。而して法第三百十九条第一項前段後段の立法理由を「……しかもこのように解されたときには被告側からする不任意立証の極めて困難であることと相まつて、新憲法及びこれに基く新刑事訴訟法の前記規定の精神と意義が大半失われることになるので、法は問題の重要性に照らし元来すでに憲法において明らかであるべき事項ではあるが、特に訴訟法において前段の外に後段の規定を設けて一層これを明かにした確認的規定である。4、警察と検察庁での取調が引続き行われ、しかも両者での自白の内容が大体同一であつて、しかも警察で強制を受けたととが認められる場合には右強制の影響である被疑者の心理の畏怖状態は検察庁での取調終了の頃まで存続したとみられる場合が多く両者での自白はその任意性の有無において運命を共にする。

四、尤も原審における証人辰島精造、小林丈作、西久保源三、宮野竹雄、福士武美、松井勇一、松本忠英等は強制の事実を否認しているが、これは任意性のことについては右証人等はいわば被疑者の立場にあるから、これ等の証人から直接証言を期待することは不可能である。そして右証人等の証言が虚偽であることは次のことによつて明白である。すなわち、右証人等は口を揃えて練馬署における取調べは夕方までで、夜遅くなつたことはないと断言しているが、相被告人相原福一の身柄を預つていた野方警察署の留置人整理簿(証拠として提出済)によれば夜の九時乃至十一時に及んだことは数回ある。従つて、終始練馬署に留置されていた松原が深夜まで調べられたことは植松、橋本両名の供述のとおり間違いないと認めることができる。

五、このように松原の供述調書に全然任意性を認めることができないのに何故か原審では昭和二十八年十一月三十日迄になされた松原の供述調書は任意性ありと判断した。これは前にも述べたように重病人に対する長期勾留の結果、而も暴行等による強制による自白であるから当然証拠として採用することを却下すべきであつた。長期勾留の具体的日数については被告人の性質、健康、罪質等あらゆる点を考慮して判断すべきであつて単に日数のみによつて機械的に決定すべきものではない。本件の如く昭和二十八年十月二十七日に生命に危険である旨診断されている松原に対し十一月三十日附調書迄の間でも既に三カ月以上を勾留していたのであるから、仮りに暴行の事実がなかつたとしても、不当に長期の勾留後の自白であるから証拠能力がない。若しかかる状況下の自白を任意性ありとするならば、任意性に関する法の規定は有名無実のものとなる虞れがある。かような松原甚之助の供述は全然証拠能力がないから、仮りに鈴木の前記調書に任意性があると認められたとして鈴木の自白を唯一の証拠とすることになるから前記法条に反することになるから原判決は到底破棄を免れないものと信ずる。

(その他の各控訴趣意は省略する。)

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